“能動的に働きかければ必ず何かが返ってくる「能力の増幅器」(しかし自分から働きかけない限り何も起きない)たるウェブ進化を前にしたとき,「働き者」と「怠け者」の差は大きく増幅される.「働き者」タイプの人は,それほど案ずることなく「けものみち」をすいすいと歩いていけるのではないか.ネット空間から即座に反応が帰ってくることに興奮したり,ミクシィで友だちをたくさん作りそこから生まれる新しい関係を積極的に面白がっている「働き者」タイプの人たちは,「そんなことなにが面白いの」と言っている「面倒くさがりや」タイプの「怠け者」よりも,あきらかに「けものみち」向きである.これまでの日本社会は「頭のいい人」対「悪い人」,「記憶力のいい人」対「悪い人」という軸で社会が動いてきた面が強いが,「けものみち」では「働き者」対「怠け者」が軸となる.「けものみち」で「頭がよければいいだろう」というのは通用しない.何かを知っている,何かを記憶しているというタイプの頭のよさは,あまり重要ではなくなるからだ.”
「ウェブ時代をゆく」梅田望夫著 p.110
“次章ではそんな私の経験も交えながら「けものみち」を生き抜く思考法を考えたいのだが,一言で言えば「けものみち」とは,高速道路を疾走するのに比べると,まあ何でもありの世界である.好きなこと,やりたいこと,やりたくなくてもできることを組み合わせ,ときに組織に属するもよし,属さぬもよし,人とのさまざまな出会いを大切にしながら「個としてのストーリー」を組み立て,なんとかゴチャゴチャと生きていく世界だ.”
「ウェブ時代をゆく」梅田望夫 p.102
“シリコンバレーはアントレプレナーシップに溢れた土地柄でその歴史が退席しているため,世の中で通用している言葉の定義より苛烈で凝縮されたエッセンスを私は嗅ぎ取ってきた.アントレプレナーシップの真髄とは,「自分の頭で考え続け,どんなことがあっても絶対にあきらめない」ということに尽きるのだ.「勝った者」とは「勝つまでやった者」なのである.一つの専門を極めることは,とにかく長い長い終わりのない道のりである.”
「ウェブ時代をゆく」梅田望夫 p.97
“しかも日本社会は,エスタブリッシュメント層の中枢に坐る大企業経営者,官僚,マスメディア幹部の大半が,いったん属した組織を辞めたという個人的経験を全く持たない.だから「大組織を離れる」イコール「路頭に迷う」「人生のレールをはずれる」みたいな極端な表現をカジュアルに口にし,それがあたかも真実であるかのような錯覚を人々に与える.実際彼らの大半は「目の前にあるすべきことに情熱を注ぐこと」ができた人であり,そうでない人への想像力を欠いているのだ.「好きを貫いて生きていけるほど,世の中,甘いもんじゃない」という大人の言葉は,日本社会の中枢にいる人々の傾向と表裏一体をなすものである.”
「ウェブ時代をゆく」梅田望夫著 p .92
“これまでの日本社会では,「自分は何が好きなのか,自分という固有の存在が何を志向しているのか」を自らに問わず,「目の前にあるすべきことに情熱を注ぐこと」ができる人のほうが生きやすかった.個人の「好き嫌い」などと関係なく与えられた課題に邁進する「大学入試をゴールとした日本の小中高の教育システム」にそれがよく現れている.”
「ウェブ時代をゆく」梅田望夫著 p.91
“「成功するかどうかは,人生をうずめている奴が一人いるかどうかですね」と彼は端的に答えた.”

「ウェブ時代をゆく」梅田望夫著 p.66

オープンソースプロジェクトが成功する秘訣について,凄腕プログラマーに訪ねた際の返答

“私がオプティミズムを貫く葉,こうした精神的な姿勢のみを理由とするのではない.ネットという技術の持つ正確に付いて次の5つの点で,大きな希望を抱いているからである.
(1)ネットが「巨大な強者」(国家,大資本,大組織)よりも「小さな弱者」(個人,小資本,小組織……)と親和性の高い技術であること.
(2)ネットが人々の「善」なるもの,人々の小さな努力を集積する可能性を秘めた技術であること.
(3)ネットがこれまでは「ほんの一部の人たち」にのみ可能だった行為(例:表現,社会貢献)を,全ての人々に解放する技術であること.
(4)ネットが「個」の固有性(個性,志向性)を発見し増幅することにおいて極めて有効な技術であること.
(5)ネットが社会に多様な選択肢を増やす方向の技術であること.”
「ウェブ時代をゆく」梅田望夫著 p.14